ジェームズ・ディーンの死以来スポーツカーは、女心を強烈に揺さぶる役柄を与えられ、世の男どもの、何が何でも手に入れたい憧れのシンボルになりました。
ではあったのですが、昭和30年代の前半は日本全体が『戦後』に別れをつげたばかり・・。
個人の暮らし向きにスポーツカーが入り込む余地などありません。
自動車メーカー自体も、トラックの生産で利益を上げながら、せっせとタクシー向け乗用車の性能向上につとめた時期であります。
一般の家庭では、一つまた一つと、家庭電化の商品を取り入れるのが精一杯の暮らしであったと言ってよいです。
振り返ってみれば、昭和30年代の10年間ほど、個人の暮らし向きや消費態度に変化が見られた年代はありません。
国民のエネルギーは一つに固まって暮らしの豊かさを追求し、それがやがてモータリゼーションの開花へと進展するのですが、それを先導したのは池田内閣の所得倍増政策です。
車のある暮らしが、実勢として大衆化するのは40年代の初めからですが、それの予行的現象は30年代の後半から表面化していたのです。
所得倍増政策に呼応するかのように、軽自動車を含む大衆車モデルが相次いで市場に現れ、それらは乗用車普及の底辺を固めていきました。
大衆の暮らしに次第に浸透する乗用車…。
乗用車需要の拡大は、必然的に乗用車という商品の個性化意識を刺激します。
その個性化意識を充足するのはスポーツカーを措いてないのです。
30年代の後半に始まる乗用車市場の拡大は、かくて趣味性豊かなスポーツカーの誕生をも促しました。